3/11(Fri) PM3:00前後:
高田馬場駅周辺で面接中、地震に遭遇。避難を繰り返すも、続行が不可能になり後日あらためて行うことになる。PM5:00前後:
会社の方から東京駅までのルートを教えてもらう。同じ会社を受けていた同じ大学の同期と高田馬場駅前から九段下行き都営バスに乗り、九段下から東京駅まで歩く。
PM8:00前後:
東京駅で電車の当日運休、バス停にて実家方面へのバスの当日運休を知る。インターネットカフェ、カプセルホテルで一夜を過ごそうと探してみるもインターネットカフェは地震によるパソコンへの被害と思われる理由により営業できず、ホテルは値段の大小にかかわらずどこも満員のところが多く見受けられた。
PM9:30前後:
父の務める会社のツテである会社のビルにて一晩お世話を頂いた。ある程度落ち着いたところで、Twitter、Skype、メールにて家族、大学の友人、地元の友人へ安否の確認を急いだ。
PM11:00前後〜3/12(Sat) 朝:
地元の友人の1人から近くにいるとの連絡を受け、迎えに行き同様に会社でお世話になった。1人がワンセグ持ちの携帯電話だったのでTV、Twitterで情報の入手を行い、ほとんど眠りにはつけなかった。
携帯電話はまともに使えず、携帯メールも遅延がある中で、Twitter、Skypeなどのサービスが安否確認、それらに加えUstreamなどのサービスは情報の入手に大いに役立った。と、同時にデマ等により前から懸念されていたTwitterによる信ぴょう性の低い情報が飛び交ったことも事実だ。
朝までに連絡した人間のほとんどの安否確認ができた。
眠れなかったので今までの行動経緯をノートに書きなぐる、ちなみに当記事もこの時のメモを元に書いている。